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郊外・田舎にいるとうつ(鬱)になるわけ。なぜなのか? 引っ越したあとにそれがわかってきた話

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いま、トラキチは首都圏の比較的賑やかな私鉄の駅のそばに住んでいるにゃ(この記事の初出当時)。

 

どのくらいの賑やかさかというと、駅はとりあえず立派に駅ビル化していて、中には大きな本屋さんもあって、スターバックスもあるにゃ。駅前には百貨店があって、スターバックスはさらに駅の外にも1軒あるといったところかにゃ。

 

家の近くに居酒屋があるので、酔っぱらった人の声がときどき遅くまで響いてはくるんにゃけど、おおむね住み心地は悪くないよにゃ。

 

その前は、事情あって、いわゆる郊外の住宅地にいたにゃ。

 

一戸建てのマイホームがたくさん並んでいて、畑もあちこちに点在…と、いった環境かにゃ。お店といえば、駐車場のやたら広~いコンビニとか、同じように広~いドラッグストアとか、そんなのが多かったよにゃ。

 

家の周りには、いわゆる終の棲家を抱えているご近所さんが大勢いたにゃ。

 

仲良くなったひともいたんにゃけど、振り返ってみると、なんとなくこの場所に住んでいる間、毎日が落ち着かなかったような、不安なような…妙にうつ=鬱な感じだったよにゃ。

 

なんでだろう? と、あとから考えてみたにゃ。

 

しばらく考えて、最近、その理由がなんとなくわかったような気がするにゃ。

 

郊外や田舎の住宅地って、思えば、人が隠れる場所も、逃げ込める場所も、そこにはほとんど無いんよ。

 

つまり、パブリック な空間が無いんよ。

 

周りの景色のほとんどが、マイホーム、駐車場、ちっちゃな事業所のオフィス、倉庫、畑、工場、アパート…息が詰まるくらいに「部外者立ち入り禁止」の場所で埋め尽くされているにゃ。

 

つまり、関係ない人がウロウロしてちゃいけない場所、ウロウロしてると怪しい場所ばかりが広がっているんよ。

 

要は、そこは私権の巨大な森なんよ。私権 の。

 

唯一、パブリックな場所といえば、ベンチに土ぼこりの溜まった寂れた公園くらいだったよにゃ。

 

一方、その周りをぐるりととり囲む住宅や事業所の群れ…見渡す限り無言で建ち並んでいる建物といえば…

 

そのどれもが、誰かの私権によって管理されている、部外者にとっては基本的に存在する意味がないただの建材の かたまり にゃ。

 

それでも自分の家があるだろう…って?

 

いやいや、そこもまた、生活の澱がたっぷりと詰まった、ときには向き合いたくなくなる自分の「私」がいっぱいの場所なんよ。

 

つまり、郊外や田舎って、景色こそ広々としているけれど本質的には 狭い んよ。

 

人間が自由に行動できる空間、気兼ねなく呼吸できる空間が豊富なのかどうか? という意味においては、郊外や田舎って、狭いうえに砂漠のように潤いがない、乾き切っている場所ともいえるにゃ。

 

逆に、 ってそうにゃないにゃろ?

 

特に繁華街だったら、人が逃げ込む場所ならば、ありとあらゆる穴ぐらがそこら辺中に空いているよにゃ?

 

「お店」という名の穴ぐらが。

 

レストランとか美容室とかは、入ればお金も払わなければいけにゃいけど、そうでないお店もビルもたくさんあるにゃんか? 街には。

 

あるいは、雑踏の中、ビルの壁を背にただ立ち止まっている…それだっておかしくないよにゃ? そこが街であれば。

 

ついでにスマートフォンでもいじっていれば、さらに風景として変ではないにゃ。

 

そんなところが、トラキチのような人間にとっては多分安心だし、居心地がいいんよ。

 

にゃので、いまのところに引っ越してからは、まるで霧か雲が晴れたように、目の前が明るくなった感じがしているにゃ。

 

以上、もちろん私見にゃ。

 

そして、トラキチ独自のものかもしれない感覚にゃ。

 

(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんからお借りしているにゃ)